神戸地方裁判所 昭和49年(行ウ)24号 判決 1984年4月25日
兵庫県神戸市東灘区御影本町六丁目三番二二号
第二九号事件原告、亡増谷くら訴訟承継人
増谷勲
同県西宮市神園町二番五〇号
同
中田全子
同県同市西平町一一番四九号
同
増谷豊
同県同市神園町二番二〇号
亡増谷くら訴訟承継人
増谷泰久
右法定代理人親権者母
増谷芙美子
右同所
第二九号事件原告
増谷芙美子
右五名訴訟代理人弁護士
長桶吉彦
同県同市田代町一四番三号
第二四号事件原告、亡増谷くら訴訟承継人
増谷晧
右訴訟代理人弁護士
光辻敦馬
同県同市江上町三番二五号
被告
西宮税務署長
右指定代理人
饒平名正也
同
中野英生
同
小巻泰
同
武宮匡男
同
島村茂
主文
一 被告が昭和四八年三月一〇日付けで亡増谷義雄の昭和四五年分の所得税についてした更正処分及び過少申告加算税賦課決定処分のうち、分離長期譲渡所得金額一億二二五〇万円を超える部分に対応する部分を取り消す。
二 原告らのその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は被告の負担とする。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 被告が昭和四八年三月一〇日付けで亡増谷義雄の昭和四五年分所得税についてした更正処分のうち、分離長期譲渡所得金額一億〇八九八万六四〇〇円、納付すべき税額一一〇一万六四〇〇円を超える部分及び過少申告加算税賦課決定処分をいずれも取り消す。
2 訴訟費用は被告の負担とする。
二 請求の趣旨に対する答弁
1 原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は原告らの負担とする。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 当事者
(一) 訴外亡増谷くら(以下、「くら」という。)は、同亡増谷義雄(昭和四六年四月一一日死亡、以下、「義雄」という。)の配偶者であり、原告増谷勲、同中田全子、同増谷豊及び同増谷晧(以下、「原告勲」、「原告全子」、「原告豊」、「原告晧」という。)並びに同亡増谷淳(同年一一月一五日死亡、以下、「淳」という。)は、義雄とくら間の子である。
(二) 原告増谷芙美子(以下、「原告芙美子」という。)は、淳の配偶者であり、同増谷泰久(以下、「原告泰久」という。)は、淳の子である。
2 本件各処分について
(一) 義雄は、昭和四五年分の所得税につき、法定期間内に被告に対し、別紙(一)の確定申告欄記載のとおり確定申告をしたところ、被告は、昭和四八年三月一〇日付けで同表の更正欄記載のとおりの更正処分(以下、「本件更正処分」という。)及び過少申告加算税賦課決定処分(以下、「本件賦課決定処分」という。)の各処分(これらの各処分を合わせて「本件各処分」という。)をした。
(二) そして、被告は、義雄の死亡に伴い、同人の相続人である原告勲、同全子、同豊、同晧及びくら並びに義雄の相続人淳の相続人である原告芙美子に対し、納税義務があるとして、その旨の通知をした。
3 本件各処分の違法性
しかしながら、本件更正処分は、次に述べるように違法であるから、本件賦課決定処分も違法である。
(一) 本件更正処分は、義雄がその所有にかかる別紙(二)記載の学校法人夙川学院(以下、「学院」ともいう。)用地等合計一七筆の土地(合計面積二万〇九七七平方メートル。以下、「本件土地」という。)を昭和四五年一〇月に、当時同人が理事長をしていた学院に対して代金合計一億三〇〇〇万円(一平方メートル当たり六一九七円)で譲渡したこと(以下、「本件譲渡」という。)につき、右譲渡価額(以下、「本件譲渡価額」という。)が時価の二分の一に満たない低額であると認定したうえで、昭和四八年法律第八号による改正前の所得税法(以下、「旧所得税法」という。)五九条一項の低額譲渡規定を適用し、義雄の昭和四五年分の所得につき、二億九七九二万二二五〇円の分離長期譲渡所得を認めた。
(二) しかしながら、本件譲渡価額は、何ら低額ではない。
(三) よって、本件更正処分には、旧所得税法五九条一項及び同法施行令一六九条の解釈、適用を誤った違法が存在する。
4 くらは昭和五七年三月五日に死亡し、その相続人である原告勲、同全子、同豊、同晧及び泰久がくらの権利義務を承継した。
5 よって、原告らは、本件更正処分のうち、義雄の確定申告にかかる分離長期譲渡所得金額を超える金額を認めた部分及び本件賦課決定及分の各処分のうち、その相続分に応じた部分の取消しを求める。
二 請求原因に対する認否
1 請求原因第1項及び第2項の各事実は認める。
2 請求原因第3項冒頭部分の主張は争う。同項(一)の事実は認める。同項(二)及び(三)の各主張は争う。
三 被告の主張
1 租税債務の承継について
(一) 義雄は、昭和四五年分の所得税につき、法定期限内である昭和四六年三月一五日に別紙(一)確定申告欄記載のとおり確定申告をし、更に、同年六月一日に同修正申告欄記載のとおり修正申告をしたが、その間、同年四月一一日に死亡した。そして、被告はこれについて昭和四八年三月一〇日に本件各処分をした。
(二) 原告勲、同全子、同豊、同晧、くら及び淳は、義雄の相続人として、同人にかかる右租税債務を承継した。
(三) 原告芙美子及び同泰久は、淳の相続人として、同人が義雄から相続した租税債務を承継した。
(四) 原告勲、同全子、同豊、同晧及び同泰久は、くらの相続人として、同人が義雄から相続した租税債務を承継した。
2 本件各処分の適法性
本件更正処分は、次のとおり適法であるから、本件賦課決定処分も適法である。
(一) 義雄の総所得金額
(1) 不動産所得
(イ) 収入金額 五〇万九七五〇円
これは、義雄が賃貸していた神戸市東灘区御影本町の土地の地代収入であり、その額は、修正申告額のとおりである。
(ロ) 必要経費 一一万七〇三〇円
これは、右(イ)に対する必要経費であり、その額は、修正申告額のとおりである。
(ハ) よって、義雄の不動産所得は、三九万二七二〇円である。
(2) 給与所得
(イ) 収入金額 二五六万一三八八円
これは、義雄が学院から同校の理事長として受領した報酬であり、その額は、確定申告額のとおりである。
(ロ) 給与所得控除額 四〇万六四五五円
これは、右(イ)に対する給与所得控除額であり、その額は、確定申告額のとおりである。
(ハ) よって、義雄の給与所得は、二一五万四九三三円である。
(3) 従って、義雄の総所得金額は、前記(1)及び(2)の合計である二五四万七六五三円である。
(二) 義雄の分離長期譲渡所得
(1) 本件更正処分に至る経緯
(イ) 本件土地は、義雄が昭和二二年五月一〇日に学院との間で地上権設定契約をし、その譲渡の日に至るまで学院に対し、学校校舎及びこれに付随する工作物の所有を目的とする学院の学校用地として、無償で使用させていたものである。
(ロ) 学院は、昭和四五年四月二五日に開催された理事会において、本件土地を学院が一億三〇〇〇万円で買い取る旨を決議し、同日付けで義雄と学院との間でその旨の合意が成立し、一応売買契約が成立した。
しかし、前述したように、義雄は学院の代表者であるところから、その後、学院は、その特別代理人として訴外田嶌淳太郎弁護士(以下、「田嶌弁護士」という。)を選任し、そのうえで、同年一〇月二二日に義雄と田嶌弁護士との間で改めて、前記売買契約との同一内容の売買契約を締結した。
(ハ) そして、義雄は、本件譲渡価額を一億三〇〇〇万円として、所得税の確定申告をした。
(ニ) そこで、被告が右申告内容について調査したところ、本件土地については、学院が東洋信託銀行大阪支店不動産部(以下、「東洋信託銀行」という。)に価額の鑑定を依頼し、これに基づいて、同銀行所属の不動産鑑定士である訴外古賀昌昭(以下、「古賀鑑定士」という。)ほか一名が当初の売買契約締結後の同年六月一三日付けでした鑑定(以下、「古賀第一鑑定」という。なお、同鑑定の評価時点は、同年六月一二日である。)があり、これによれば、本件土地の価額は、三億一四六五万五〇〇〇円であった。
そして、被告が右鑑定の内容について検討したところ、右価額は、学院が地上権設定契約に基づいて使用中である現実をとらえ。かつ、学院が当該底地を買い取り、地上権と底地所有権との併合を図ることを目的とする場合の限定価格として適正に評価されたものであって、妥当な価格であると認められたので、これに従って譲渡時における本件土地の価額を三億一四六五万五〇〇〇円と認めた。
そこで、被告は、義雄の申告にかかる本件譲渡価額が時価の二分の一に満たないとして、旧所得税法五九条一項及び同法施行令一六九条の規定を適用し、本件譲渡価額を右評価額である三億一四六五万五〇〇〇円とした。
(2) 所得税法五九条一項の法意について
(イ) 譲渡所得が課税の対象とされているのは、資産の利益が当該資産そのものの値上りという形で発生し、それが所有者に帰属しているから、その資産の増加益を所得としてとらえ、これに対して課税するという基本的税理論に立脚したものである。
(ロ) 資産の値上りによる増加益は、厳密にいえば、当該資産の市場価値の一年内の増加額を毎年査定し、これに基づいて課税すべきであるが、このような方法は、技術的に困難である。そこで、資産の値上りによる増加益がある年間に生じた場合であっても、これに対して課税することなく、資産の値上りという形で既に発生している潜在的な所得が譲渡行為等によって顕在化したときに課税の精算をすることとしたのが譲渡所得の課税原理である。
(ハ) 所得税法五九条一項及び同法施行令一六九条は「資産を時価の二分の一に満たない金額で譲渡した場合は、その事由が生じた時に、その時における価額に相当する金額によりこの資産の譲渡があったものとみなす。」旨を規定している。
すなわち、譲渡所得の課税を正当な対価でされる資産の有償譲渡の場合にのみ限定すると、低額及び無償譲渡の場合には、譲渡所得が過少に、又は全く生じない場合が生じ、これでは、未実現であるとはいえ、資産の値上り益を譲渡者の自由な処分に委ねることになり、その結果、資産の値上り益を一年ごとに把握して課税することが困難であるという技術的理由によって課税が遷延されていたにすぎないにもかかわらず、譲渡に際し、譲渡者の意思によっては譲渡所得の課税を全くなし得なくなる場合を生ずるほか、租税回避を誘発することも考えられる。
そこで、所得税法は、租税の公平負担の見地から、このような事態に対処するため、前述の規定を設けているのである。
(ニ) このように考えると、所得税法五九条一項にいう「その譲渡の時における価額」(時価)とは、当該譲渡の時における客観的交換価値(市場価値)、すなわち、自由市場において市場の事情に十分通じ、かつ、特別の動機を持たない多数の売手と買手とが存在する場合に成立すると認められる価格であると解すべきである。
(3) 本件譲渡価額について
そこで、これを本件についてみるのに、
(イ) 本件譲渡のされた日は、義雄が本件土地を学院に引き渡すとともに、代金の決裁を受けた昭和四五年一〇月二三日である。
(ロ) そして、被告は、本件譲渡価額については、前述のとおり、古賀第一鑑定による価額を参考に、三億一四六五万五〇〇〇円をもって相当とした。
なお、本件譲渡は、義雄自身が学院代表者であるところから、両者の取引については、譲渡価額につき、文部省の審査を受けなければならないとされていた。そこで、学院は、東洋信託銀行に本件土地の価額の鑑定を依頼し、その結果作成されたものが古賀第一鑑定であり、同鑑定は、信託銀行という社会的に十分信用があり、情報面においても豊富な会社に所属する不動産鑑定士が作成したものであるから、その信用性は高いといわなければならない。
(ハ) そして、古賀第一鑑定の価額評価時点は、前述のとおり、昭和四五年六月一二日であるから、同価額を別紙(三)記載のとおり、本件土地の譲渡時である同年一〇月二三日現在のそれに時点修正すれば、本件譲渡価額は、三億三二五九万二〇〇〇円となる。
(ニ) よって、被告の認定した本件譲渡価額は、三億三二五九万二〇〇〇円の範囲内であるから、この点につき、違法は存在しない。
(4) 取得費について
(イ) 本件土地は、義雄が昭和一四年一一月一五日に売買により取得したものである。
(ロ) ところで、譲渡所得の金額の計算上控除する資産の取得費については、所得税法三八条一項がその資産の取得に要した金額並びに設備費及び改良費の額の合計額とする旨規定している。
また、右資産が昭和二七年一二月三一日以前から引続き所有していた場合の取得費は、その資産の昭和二八年一月一日の現況に応じ、同日においてその資産につき、相続税及び贈与税の課税標準の計算に用いるべきものとして、国税庁長官が定めて公表した方法により計算した価額と、その資産につき同日以後に支出した設備費及び改良費の額との合計額とする旨規定している。(所得税法六一条二項、同法施行令一七二条)。
(ハ) しかしながら、このような取得費の計算は、きわめて手数のかかるものであったので、租税特別措置法(昭和四八年法律第一〇二号による改正前のもの。以下、「旧措置法」という。)三一条の二第一項では、その取得の日が昭和二七年一二月三一日以前である土地等を譲渡した場合の取得費は、譲渡価額の百分の五とすることとしている。
もっとも、同項によれば、この場合でも、実際の取得価額並びに取得日以後の設備費及び改良費の合計額が譲渡価額の百分の五を超えることを証明できる場合には、実際の取得費によって計算することとしている。
(ニ) 被告は、本件では、同法三一条の二第一項により、本件土地の取得費を譲渡価額である三億一四六五万五〇〇〇円の百分の五に相当する一五七三万二七五〇円とした。
(5) 特別控除額
租税特別措置法(以下、「措置法」という。)三一条二項によれば、本件における特別控除額は、一〇〇万円である。
(6) 従って、義雄の昭和四五年分所得税に関する分離長期譲渡所得は、前記(3)から同(4)及び(5)の合計額を控除した二億九七九二万二二五〇円である。
3 よって、本件各処分を違法とする原告らの請求は、いずれも理由がない。
四 被告の主張に対する認否
1 被告の主張第1項は認める。
2 被告の主張第2項について
(一) 同項冒頭部分の主張は争う。
(二) 同項(一)は認める。
(三) 同項(二)について
(1) 同(1)の(イ)ないし(ハ)の各事実は認める。同(ニ)のうち、古賀第一鑑定の評価額が妥当であるとの点は争い、その余の事実は認める。
(2) 同(2)及び(3)は争う。
(3) 同(4)の(イ)及び(ロ)は認める。
(4) 同(5)は認める。
(5) 同(6)の主張は争う。
3 被告の主張第三項の主張は争う。
五 原告らの反論
1 土地の状況からみた本件土地の価額について
(一) 本件土地については、学院を権利者とする地上権が設定され、その地上には多数の鉄筋コンクリート造りの堅固な建物が建築されている。しかも、学院の使用料は無償であった。
(二) また、本件土地は、その画地の状況からみても、利用効率のきわめて悪い土地である。また、学校法人が使用する校地として、種々の公法上あるいは行政上の制約を受けていた。
(三) 更に、本件譲渡は、学院が前述のように地上権に基づいて現に使用している土地を、将来も永久に学校用地として使用する目的のもとに買い取ったものであるから、市場性の回復などというようなことはあり得ず、その価額の決定について、一般の市場価格原理が作用する余地はない。
しかも、後述するように、本件譲渡には、それが学院の監督官庁である文部省の指導の下に行われたという特殊な事情がある。
(四) 以上のとおりであるから、本件土地の限定価額(底地価額)が本件譲渡価額の二倍を超えるようなことはなく、従って、本件譲渡は、旧所得税法五九条一項及び同法施行令一六九条にいう低額譲渡には当たらない。
2 本件譲渡の経緯について
(一) 義雄は、同人の先代が魚崎町(現在、神戸市東灘区)で経営していた裁縫学校を戦後、現在の西宮市神園町に移転し、その名称を現在の夙川学院と改めるなど、子女の教育に対する大いなる情熱と非常な努力とをもって、これを現在の学院に育てあげた人物であり、その後半生をすべて教育にささげ、熱心な教育者として、また、厳正な人格者として定評のあった人物であった。
ところが、同人は、昭和三九年に脳溢血で倒れたのを始めとして、その後も二回ほど脳溢血で倒れ、更に、脳軟化症、心筋こう塞を発病し、昭和四三年からは特に病状が悪化し、たびたび心臓発作を起こし、ほとんど病床にあったものである。
(二) ところで、同年(義雄の病状が悪化する以前)に、学校法人の監督官庁である文部省が兵庫県を介し、学院に対し、「学院は、学院校舎等の敷地となっている土地をその代表者である義雄個人から地上権の設定を受けて無償使用しているが、学院が学校法人として安定した健全経営を維持してゆくためには、右のような状態はまことに好ましくないから、早急に学院において右敷地を買い取るように。」との指示があった。そして、文部省は、更に買取価格についても、「譲受人が学校法人で、譲渡人はその法人の代表者であるし、買取りによって学校法人の経営が悪化することにでもなれば、所期の目的を達せられなくなるから、買収価格は高くても、時価の二分の一程度にしなければ認可できない。」旨の意向を示した。
これに対し、義雄は、過去に原告晧が神園町の学校用地を同人に無断で担保に入れたことがあったため、むしろ、文部省からの指示を契機に、すみやかに学校の敷地を学院の所有とすることにむしろ乗り気となり、その準備にかかった。なお、当時の義雄の意思としては、本件土地一七筆のほかに、本件土地に隣接し、将来学院の校舎建築に際して必要と思われる西宮市神園町一八番、一九番、三一番、三二番及び三三番の五筆の土地(いずれも公簿上私立学校用地、合計面積一万一四六二平方メートル、以下、「本件隣地」という。)をも含めた合計二二筆の学校用地(合計面積三万二四三九平方メートル、以下、「本件学校用地」ともいう。)を学院に譲渡するつもりであった。
しかし、右土地の中には原告晧によって仮登記が付されている土地があったので、右仮登記の抹消登記手続を求める裁判が確定するまで、売買契約の締結は、見合わされていた。
(三) ところで、学院は、右売買の準備として、本件学校用地の価額の鑑定を東洋信託銀行に依頼していたが、前述した仮登記抹消請求の裁判の確定を待つ間に義雄が再び病床につき、その間に原告晧が同人方に出入りするようになったこともあって、結局、義雄が学院に譲渡する土地は、本件土地に限定されることになった。
そこで、学院は、改めて本件土地の価額の鑑定を東洋信託銀行に依頼し、その結果、同じ日付けで二個の鑑定報告書が作成されることとなった。そして、このうち、本件学校用地の鑑定(以下、「古賀第二鑑定」という。)によれば、一平方メートル当たりの価額は一万〇八九〇円で、合計三億五三二六万〇七一〇円(これを、本件土地に限定すれば、二億二八四三万九五三〇円。)であり、本件土地の鑑定(古賀第一鑑定)によれば、一平方メートル当たりの価額は一万五〇〇〇円で、合計価額は三億一四六五万五〇〇〇円であった。
(四) そこで、義雄は、これらの鑑定結果をも参考にして本件土地の譲渡価額を検討したが、前述のような文部省の強い指示もあり、また、学院の代表者としての自らの立場からも、学院の財政状態を考慮して、学院が健全経営を保つためには、譲渡価額は一億円位が妥当であると判断していた。しかし、昭和四五年四月二五日の理事会の席上、他の理事から「一億円では理事長個人(義雄)の犠牲が大きすぎるので、せめて税金分位は増額すべきである。」旨の意見が出され、他の理事もそれに同調したので、結局、正式の取引価額は一億三〇〇〇万円と決定された。
(五) このように、本件譲渡価額は、監督官庁である文部省の指示に従い義雄個人の犠牲において決定されたものであって、取引当事者双方の自由意思によって決定されたものではない。
(六) 以上のとおりであるから、仮に、本件譲渡が形式的には低額譲渡にあたるとしても、旧所得税法五九条一項、同法施行令一六九条の適用はないものというべきである。
3 従って、本件譲渡について旧所得税法五九条一項、同法施行令一六九条を適用した本件各処分は、違法である。
六 原告らの反論に対する認否
1 原告らの反論第1項について
同項(一)の事実は認める。同(二)の主張は争う。同(三)前段の主張は争い、同後段の事実は否認する。同(四)の主張は争う。
2 原告らの反論第2項について
(一) 同項(一)の事実は知らない。
(二) 同(二)第一段の事実は否認し、同第二、第三段の各事実は知らない。
(三) 同(三)前段のうち、そのような依頼がされたことは認める。同後段の事実は認める。
(四) 同(四)のうち、取引価額が一億三〇〇〇万円と決定されたことは認め、その余の事実は否認する。
(五) 同(五)及び(六)の各主張は争う。
3 原告らの反論第3項の主張は争う。
第三証拠
本件訴訟記録中の書証目録及び証人等目録記載のとおりであるから、これを引用する。
理由
一 請求原因第1、2及び4項並びに被告の主張第1項の各事実(当事者及び本件各処分の存在について)は、いずれも当事者間に争いがない。
二 そこで、本件各処分の適否について、検討をする。
1 本件更正処分について
(一) 義雄の総所得金額について
義雄の昭和四五年分の所得税にかかる総所得金額が二五四万七六五三円であることは、当事者間に争いがない。
(二) 義雄の分離長期譲渡所得
(1) 被告が本件譲渡について旧所得税法五九条一項及び同法施行令一六九条を適用したことは、当事者間に争いがない。
(2) 譲渡価額について
そこで、本件譲渡価額が時価の二分の一に満たなかったかどうかについて検討する。
(イ) 本件土地等の状況
成立に争いのない乙第一ないし第三号証、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第五七号証、証人古賀昌昭(併合前の第二九号事件及び併合後の取調べによるもの、以下、同じ。)及び同保田敞弘の各証言(以下、「古賀証言」及び「保田証言」という。)、鑑定人保田敞弘及び同小野三郎の各鑑定の結果(以下、「保田鑑定」及び「小野鑑定」という。)並びに弁論の全趣旨を総合すれば、以下の事実が認められる。
<1> 本件土地は、六甲山系の東側に位置する甲山の山麓のゆるやかな南傾斜地の一部であり、阪急電鉄(当時は、京阪神急行電鉄)苦楽園口駅の北東約六〇〇ないし七〇〇メートル、同甲陽園駅の南約六〇〇ないし七〇〇メートルの地点に立地し、背後に甲山を控え、前面に大阪湾が広々と展開する見晴しの良い場所に位置しており、いまだ介在農地も存在するが、付近は環境良好な住宅地として急速に発展している。
もっとも、昭和四五年当時(以下、(イ)については、いずれも同じ。)には、本件土地付近は、まだ人家は比較的少く、農地が大部分を占めている状態であった。しかし、都市計画上は、住居専用地域(昭和四六年以後は、第二種住居専用地域)に指定されており、環境の良さが着目されて当時の開発機運が付近にも及び始め、良好な住宅地域を形成しつつあった。
<2> 本件土地は、その地目としては、私立学校用地、原野又は廃道敷であるが、現実には、本件隣地とともに、学院の敷地として一括利用され(この点は、当事者間に争いがない。)、一部に法面などの傾斜部分があり、段差も存在するが、大部分は整地して宅地化されており、その地上には、合計八棟の堅固又は非堅固の学校用建物が存在する。
そして、本件土地は、その東側をほぼ南北に走る幅員約五メートルの道路に約三〇〇メートルにわたって面しているゆるやかな南面傾斜の不整形な土地であり、右道路の東側には、これと平行して阪急電鉄甲陽線が走っている。更に、本件土地の東側部分には、右道路に沿って南北に訴外関西電力株式会社(以下、「関西電力」という。)の高圧線(七万ボルト以下)が通り、これを支える鉄塔が本件土地内に三基設置されている。
<3> 本件土地については、学院を地上権者とする地上権(昭和二二年五月一〇日設定)及び関西電力を地役権者とする地役権(未登記、設定範囲高圧績下地及び鉄塔部分)がそれぞれ設定されている(地上権設定の事実は、当事者間に争いがない。)。
なお、義雄と学院間の地上権設定契約書の内容は、別紙(四)記載のとおりである。
<4> 本件隣地は、本件土地の北側に隣接し、その一部が学院の校舎敷地に供されているものの、その大部分は山林及び池であるうえ、本件土地と比べると傾斜は急であり、その利用は進んでいない。
以上のような事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(ロ) 本件譲渡に至る経緯について
前掲乙第一ないし第三号証、成立に争いのない甲第一ないし第三号証、第四号証の一ないし一一及び第五号証の一、四、古賀証言、原告勲本人尋問の結果(併合前の第二九号事件における取調べによるもの、以下、同じ。)、並びに弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
<1> 学院は、義雄の養母である訴外増谷かめ(昭和一四年一月二三日死亡)によって創立された裁縫学校を起源とし、戦前は、財団法人増谷高等女学校として魚崎町に所在したが、焼災によって校舎が焼失したこともあって、昭和二四年には、義雄が同校の移転用地として、すでに昭和一四年に取得し、同人所有としていた本件土地に学校を移転した。
もっとも、移転直後は、生徒が思うようには集まらなかったこともあり、同校の経営は必ずしも思わしくなかったが、その後、同校の立地が阪神間でも屈指の教育環境にあることなども手伝い、生徒数も増加し、学校の名称も現在の「夙川学院高等学校・同中学校」として、その設備を拡充した。
更に、学院は文部省の認可を受けて、昭和四〇年四月一日付けで夙川学院短期大学家政科(昭和四四年四月一日付けで同家政学科と名称変更)を新設し、その後も同保育科(昭和四一年四月一日付けで設置、昭和四四年四月一日付けで同幼児教育学科と名称変更。)、同美術科(昭和四二年四月一日付けで設置)を順次新設して短期大学(その所在地は、西宮市 岩町六番五八号である。)を整備、拡充していったが、昭和四三年九月二八日には、更に英文科の設置を文部省に申請し、同申請は昭和四四年二月八日付けで認可され、同科は同年四月一日付けで設置(但し、名称は英文学科と変更。)された。
<2> ところで、義雄は明治二三年一月一三日生まれであり、前述したように、先代の増谷高等女学校を発展させた今日の学院の創設者として、長く理事長の職にあったものであるが、昭和三九年の秋に脳溢血で倒れてからは健康がすぐれず、その後昭和四一年及び四三年にも脳溢血で倒れ、更には心筋こう塞を起こし、そのころから身体の不調を訴えるようになった(もっとも、同人は、昭和四六年四月一一日に死亡するまでは学院の理事長の職にあったほか、昭和四四年三月末までは、当時副校長であった原告勲の補佐を得ながらも、学院の中学、高校の学校長を兼任していた。)。
そこで、義雄は、学院の将来に意を用い、将来にわたる学院の存立のために、自己の所有する本件学校用地を学院に寄付することを考えるようになった。他方、文部省は、学院が短期大学を設置したころから、もっぱら、学校法人としての学院の存立基盤の安定をはかるという観点から、学院に対し、学院が本件学校用地を義雄から取得するようにとの指導をしていたが、前述した英文科設立の認可の際にも、専門図書等の教育設備の充実などと並んで、「校地のうち、借地については、その買収に努めること。」との大学学術局長名義の通知(昭和四四年二月八日校大第一三四号短期大学の学科の設置について(通知)、甲第二号証)をした。
そこで、義雄は、将来における学院の経営の安定という観点から、その所有にかかる本件学校用地を学院に売却又は寄付することを決意したが、原告晧の説得もあって、最終的にはこれを売却することとし、同年三月四日付けで学院名義で私学設置審議会に対し(甲第三号証)、また、そのころ文部省大学学術局長に対し、いずれもその旨上申している。
<3> こうして、義雄は、本件学校用地の学院への売却手続に着手したが、この売買契約が学院とその代表者個人との間で行われ、学院にとっては利益相反行為であるところから、特別代理人(私立学校法四九条、民法五七条)の人選その他の準備等に相当の時間を要した。
しかし、昭和四五年にはいって、こうした準備もほぼ完了し、同年中に学校用地を学院に売却するめどが立った。そこで、義雄は、右売却価格を決定する際の参考資料とし、後日文部省に対して右価格の正当性を主張するときの裏付け資料ともするために、同年六月二日付けで学院を代表して、三和銀行夙川支店を介して東洋信託銀行に対し、「買受の為の参考」という依頼目的で、この時点において、本件学校用地を地上権者である学院が買い取る場合の限定価格を鑑定するよう依頼した。そこで、同社の専任不動産鑑定士である古賀鑑定士は、訴外久保信不動産鑑定士とともに、右鑑定に着手した。
ところが、義雄は、右鑑定依頼をした直後、本件隣地だけでも増谷家の財産として残しておくべきであるとの原告晧の説得に従い、本件隣地については、学院へ売却することを取りやめたため、再度東洋信託銀行に対し、鑑定事項は同一で、ただ鑑定すべき土地を本件土地に限定した鑑定依頼をした。
こうして、同社は、学院から二つの鑑定依頼を受けた形になったが、同社は、学院に対する鑑定評価手数料請求の根拠とする必要上から、古賀鑑定士らにこれら両方の依頼事項につき、別々に鑑定をするよう指示し、これを受けた同鑑定士らは、これらの鑑定に着手し、いずれも同月一〇日を価格時点として、同月一三日付けで本件学校用地に関する古賀第二鑑定(乙第二号証)及び本件土地に関する同第一鑑定(乙第一号証)を作成した。
<4> その後、義雄は、これらの鑑定価額などをも参考にしたうえで本件譲渡価額を検討したが、その際、同人は、本件譲渡価額を算出するに当たっては、本件土地の時価を基準とするよりも、むしろ、当時の学院の財政状態を考慮し、学院がどれだけを支出できるかという観点から価額を算出し、当初は、これを一億円とした。ところが、同年六月二七日に開催された学院の評議員会の席上、一評議員から右価額は余りにも低額であって、義雄個人に過重な負担をかけるとの意見が出されたため、更に討議の結果、本件譲渡価額は一億三〇〇〇万円に改訂されることになり、同価額は、同年七月二九日に開催された理事会においても承認された。
他方、本件売買における学院の特別代理人の人選についても右評議員会及び理事会で討議が行われ、結局、特別代理人には田嶌弁護士が選ばれ、同人は、同月三〇日にこれを承諾した。そして、学院は、同年八月二四日付けで文部省に対し、田嶌弁護士を本件売買に関する特別代理人とする旨の選任申請をし、右申請に基づく文部省の特別代理人の選任は、同年九月九日に行われた。
<5> こうして、同年一〇月二二日付けで義雄と学院の特別代理人である田嶌弁護士との間で義雄が本件土地を学院に対して一億三〇〇〇万円で売却する旨の売買契約書(甲第四号証の一一)が取り交わされ、同月二三日には、同土地の引渡し及び売買代金の決済が行われた。
以上のような事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(ハ) みなし譲渡価額について
所得税法五九条にいう「その譲渡の時における価額」とは、当該譲渡の時における時価、すなわち、自由市場において市場の事情に十分通じ、かつ、特別の動機を持たない多数の売手と買手とが存在する場合に成立すると認められる客観的交換価格(市場価格)であると解すべきである。
(ニ) 本件土地の底地価格について
<1> 古賀第一鑑定について
<イ> 前掲乙第一ないし第三号証、古賀証言及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。
(a) 古賀鑑定士は、前述のように、本件土地と本件隣地とは地形的に異なっており、明確に区分することができたので、本件土地については、取引事例に基づく比準法(取引事例比較法)により、また、本件隣地については、造成後の更地価格を想定し、これから造成費用及び地形的要因等を控除する原価逆算法により、それぞれの更地価額を算出したのち、借地権価格を控除して底地価額を算出する方法をとっている。
(b) 本件土地について参考とした取引事例は、昭和四四年五月から同年末までの間に学院から五〇ないし三〇〇メートル(平均一五〇メートル)の地点における三例である。
そして、これとの比準により、本件土地内の標準地の価額を査定しているが、本件土地が広大であり、これを細分化する場合には、進入道路の設置が不要となるところから、これを道路に面する「接面地」とその他の部分である「中間地」とに区分して標準画地を想定し、その三・三平方メートル当たり価額をそれぞれ一八万円及び一六万円として、これらの価額に潰地率(土地を細分化した場合に道路用地となるべき部分及び高圧線下における土地利用の制限を考慮した負の要因)、造成費及び地形的要因(本件土地が不整形な形状であることによるもの)を控除して、本件土地の昭和四五年六月一〇日現在の更地価額を六億二九三一万円と算出している。
(c) 次に、本件土地における学院の地上権割合については、前述した義雄と学院との地上権設定契約に基づいて、これを五〇パーセントとみて、本件土地の底地価額を三億一四六五万五〇〇〇円と算出している。
以上のような事実が認められ、この認定を左右するに足りる証拠はない。
<ロ> ところで、前記認定の本件譲渡に至る経緯によれば、古賀第一鑑定は、義雄が学院を代表して、本件土地の売買代金を決定する参考資料とし、かつ、同人において、学院から過大な売買代金を受領したものではないということを文部省に疎明する資料として利用するために、東洋信託銀行不動産部に依頼して作成されたものであって、本件更正処分又は本件訴訟の存在を前提として作成されたものでないことは、明らかである。なお、古賀鑑定士は、古賀第一鑑定のほかに同日付けで古賀第二鑑定を作成しており、右両鑑定の三・三平方メートル当たりの鑑定価額は異なっているが、前述したように、その鑑定対象が異なっており、しかも、その異なった部分のほとんどが山林及び池であるから、これを含むことによって三・三平方メートル当たりの価額が異なるのは当然のことであり、この点に何らの不合理はない。
<ハ> 更に、保田鑑定及び保田証言によれば、保田敞弘不動産鑑定士も、本件土地につき、その近隣に面積三〇〇平方メートルの標準画地を想定して、比準法によりその更地価格を査定し、地形、地積その他の要因による補正を行って、古賀第一鑑定に近似した更地価額六億二八四一万円を算定し、地上権割合を五〇パーセントとみて、本件土地の底地価額を三億一四二〇万円と算定していることが認められる。
<ニ> 以上によれば、古賀第一鑑定は、本件譲渡に近似した時点で、本件更正処分又は本件訴訟と無関係に行われた専門家による鑑定として、少くともその更地価額の信用性は高いということができるから、本件土地の昭和四五年六月一〇日現在の更地価額は六億二九三一万円と認めるのが相当である。
<2> 地上権割合について
そこで、次に、本件土地に対して学院が有する地上権の割合について検討する。
<イ> 古賀第一鑑定が右地上権割合を五〇パーセントとみていること及び保田鑑定も同様にみていることは前記認定のとおりである。
<ロ> そして、前掲甲第一ないし第三号証、古賀証言及び保田証言によれば、両鑑定とも一般的な借地権割合及び本件土地の使用状況等をも考慮しているが、前認定の義雄と学院間の本件土地についての地上権設定契約第三条但書を地上権割合の約定とみて、これを重視して学院の地上権割合を五〇パーセントと査定したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
<ハ> しかし、右地上権設定契約第三条但書には、買取の対象が地上権設定の対象となった土地である旨の記載はなく、かえって、同条本文の地上権消滅の際の原状回復に関する規定の但書として定められている点を考慮すると、その対象は同条本文に規定する工作物であると解するのが自然であるということができる。更に、もし、右但書が地上権割合の約定であるとすれば、時価の二分の一を提供して買い取るべき旨を通知するのは、地上権者である学院(甲)であるはずのところ、右但書では義雄(乙)とされている点を考慮すると、右但書が地上権割合に関する約定であるとは認め難い。
<ニ> もっとも、成立に争いのない乙第六ないし第八号証(但し、併合後の第二四号、第二九号事件に編綴されているもの。)及び弁論の全趣旨を総合すれば、大阪国税局で定めた昭和四五年の相続税財産評価基準によれば、西宮市内の住宅地における借地権割合は五〇パーセントとされており、また、国土庁が昭和四九年に調査した兵庫県における標準的な住宅地の借地権割合及び日本不動産研究所が昭和四四年に調査した西宮市における住宅地の借地権割合は、それぞれ五五パーセント及び五〇パーセントとなっていることが認められる。
しかしながら、前掲各証拠によれば、これらはいずれも賃貸借契約に基づく借地権についての基準又は調査結果であると推認されるところ、学院の本件土地使用権は、前述のとおり、登記された地上権に基づくものであり、その内容は、存続期間五〇年で、学院が存続する限り、右期間が満了しても同一期間の更新請求権が学院に認められており、しかも無償というものであって、異例ともいえるほど学院に有利かつ強力なものである。
<ホ> 更に、前記<1>の(イ)及び(ロ)で認定した事実に原告勲本人尋問の結果によれば、本件土地は、義雄が昭和一四年に三・三平方メートル当たり数円という安価な値段で取得したものであり、これに整地その他の工事を施して、学校用地として利用が可能な現状にまで開発したのは、学院であると推認される。
<ヘ> 従って、これらの事実を考慮すれば、本件譲渡当時における学院の本件土地に対する地上権割合は、七〇パーセントと認めるのが相当である。
<3> そうすると、昭和四五年六月一〇日現在において、地上権者が本件土地を買い取る場合の限定価格(底地価格)は一億八八七九万三〇〇〇円と認められる。
(ホ) 本件譲渡価額について
本件譲渡価額が一億三〇〇〇万円であることは、当事者間に争いがない。
ところで、資産の譲渡によって発生する譲渡所得についての収入金額の権利確定の時期は、当該資産の所有権その他の権利が相手方に移転する時であると解するのが相当であり(最高裁判所昭和四〇年九月二四日第二小法廷判決、民集第一九番第六号一六八八頁参照)、これを本件についてみると、前示認定のように、本件土地が義雄から学院に引き渡されたのは、昭和四五年一〇月二三日であるから、本件譲渡所得の発生日は、同日であると解すべきである。そして、保田鑑定及び弁論の全趣旨によれば、同年六月から、同年一〇月までの間において、本件土地の価額が上昇していることが認められるが、弁論の全趣旨によれば、前記認定の同年六月一〇日現在の本件土地の底地価額に同年一〇月二二日までの地価の上昇率を加算しても、なお、同日現在の本件土地の底地価額が本件譲渡価額一億三〇〇〇万円の二倍を超えないことは、明らかである。
(ヘ) そうすると、本件譲渡は、旧所得税法五九条一項及び同法施行令一六九条所定の低額譲渡には該当しないので、本件譲渡にはこれらの規定の適用はない。
従って、本件譲渡による収入は、本件譲渡価額一億三〇〇〇万円とみるべきである。
(3) 取得費について
(イ) 義雄が本件土地を昭和一四年一一月一五日に取得したことは、当事者間に争いがない。
(ロ) ところで、旧措置法三一条の二第一項によれば、昭和二七年一二月三一日以前から引続き所有していた資産を譲渡した場合における長期譲渡所得の金額の計算上収入金額から控除する取得費は、実際の取得価額と取得日以後の設備費、改良費の合計額が譲渡価額の百分の五を超えることが証明されない場合には、当該収入金額の百分の五に相当する金額とするとされている。
そして、本件全証拠によっても、本件土地の実際の取得価額と取得日以後の設備費、改良費の合計額が一億三〇〇〇万円の百分の五を超えることを認めるに足りる証拠はない。
(ハ) よって、本件土地の取得費は、一億三〇〇〇万円の百分の五に相当する六五〇万円である。
(4) 譲渡費用について
本件譲渡につき、譲渡費用を要した旨の主張立証はない。
(5) 特別控除額について
措置法三一条二項によれば、長期譲渡所得の特別控除額は、一〇〇万円である。
(6) よって、義雄の昭和四五年分の分離長期譲渡所得は、前記(2)から同(3)及び(5)の合計額を控除した一億二二五〇万円である。
(三) 本件更正処分の違法性
従って、本件更正処分のうち義雄の昭和四五年分の所得税につき、一億二二五〇万円を超える分離長期譲渡所得を認めた部分は違法である。
2 本件賦課決定処分
(一) 義雄が期限内に別紙(一)確定申告欄記載の確定申告をしたこと及び被告が本件賦課決定処分をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。
(二) しかしながら、前述のとおり、義雄の昭和四五年分の分離長期譲渡所得は、一億二二五〇万円であるから、本件賦課決定処分のうち、右分離長期譲渡所得金額を超える部分に対応する部分は違法である。
三 結論
以上によれば、原告らの本訴請求は、本件各処分のうち、分離長期譲渡所得一億二二五〇万円を超える部分に対応する部分の取消しを求める限度において理由があるから、これを認容し、その余は理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条、九二条但書、九三条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 村上博巳 裁判官笠井昇及び同田中敦は、いずれも転補につき、署名捺印することができない。裁判長裁判官 村上博巳)
別表(一)
<省略>
別表(二)
<省略>
以上一七筆 合計 二〇、九七七平方メートル
別紙(三)
<省略>
別紙(四)
第一条 乙(義雄)は甲(学院)に対し其の所有に係る別紙の土地(全学校用地)を学院校舎及びこれに附随する工作物建築所有の目的の為に地上権を設定すること。而して地代は無償とする。
第二条 地上権の存続期間は五十年とする。但し甲の存続期間中は甲の申入れにより同一の期間更新するものとする。
第三条 前条に拘わらず甲が解散するときは、地上権は消滅し甲は土地を原状に復して其の工作物を収去することができる。但し乙が時価の弐分の壱を提供して買取るべき旨を通知し又は甲が時価のの弐分の壱で買取を請求したときは、各当事者は相互に正当の理由なくして之を拒むことを得ず。